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中日ドラゴンズにドラフト1位指名された柳裕也選手の感動の家族愛と本当のエピソードをご紹介していきます。

2016年10月20日、ドラフト会議が行われ、大学BIG3と言われていた「田中正義」「柳裕也」「佐々木千隼」の3選手はそれぞれ1位で指名されました。

その後のドラフト会議特番で柳裕也の「亡き父との感動するお話」が放送されたこともあり、日本中から称賛され、実力と共に非常に将来を期待されることになりました。

 

そんな柳裕也投手の「家族愛のお話」と「本当のエピソード」をご紹介していきます。

 

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柳裕也投手

2016年のドラフト会議にて、中日ドラゴンズと横浜ベイスターズの2球団の競合の末、中日ドラゴンズが交渉権を獲得し見事プロ野球選手という夢を叶えました。

契約が終わり、様々なメディアへのインタビューを受けていますが、『とにかく意見が素晴らしい、とても1年目とは思えない!』と野球ファンの中では絶賛されています。

冷静に自分を分析し、言葉を選び、自分の立場を考えながら、一言一言をインタビューで発している姿は、本当にとても入団したばかりの選手とは思えないような立ち振る舞いをしています。

 

野球の実力もさることながら、そんな皆んなに認められる人間性をも持ち合わせている柳裕也投手の小学生時代〜大学生時代までを振り返り、メディアには露出していない本当のエピソードをご紹介していきます。

 

小学生

宮崎県都城市立大王小学校に通っており、3年生の時に野球を始め「志比田スポーツ少年団」に所属していました。

父・博美さんは野球の経験はありませんでしたが、入門書を読み一緒に練習をしていたそうです。

よくキャッチボールをしたり、球場へ車で送迎してくれました。父は野球経験がなかったので技術的なアドバイスはありませんでしたが、「野球を通じて人への感謝の気持ちを学びなさい。チームメイトや指導してくれる人に礼を失しないように」と言われたことを覚えています。

出典:FRIDAY 注目6投手を支える「家族の物語」

父・博美さんとの練習もあり、6年生のときには地元都城市のほとんどの大会を制しており、見事全国大会出場を果たしています。

 

※ 以下は柳投手が出場した全国大会(高円宮杯全日本学童軟式野球大会 マクドナルド・トーナメント)の組み合わせと結果の画像で、画像中の下から4番目が所属していた志比田スポーツ少年団。

※様々なメディアやWikipediaなどでも全国制覇していると書いてあるが全て間違いで、実際は初戦敗退である。参考ソース=全日本軟式野球連盟ホームページ歴代優勝チーム一覧

 

 

この年、父・博美さんはチームの保護者会の会長をされており、全国大会前には、寄付金集めや挨拶周りなど「かなり多忙な生活」を送られていたということでした。

実際に全国大会前はほとんど睡眠も取らず、自身の運送業の仕事とチームの会長としての役割を全うしていたと言います。

 

そして、全国大会が行われた茨城から帰ってきて数日後、自身の運送業の仕事中に”居眠り運転”にて交通事故を起こしてしまい帰らぬ人となってしまいました。

「子供の為」「チームの為」に全国大会前は仕事の休みを多く取ったり、早上がりをしていたため、自身の運送業の仕事がかなり溜まっていたといいます…

 

葬儀のときは、あまりのショックに母・薫さんは泣き続けてしまい、喪主の挨拶が出来ませんでした。

しかし、泣き続ける母・薫さんの代わりに喪主の挨拶を務めたのが『柳裕也投手』だったのです。

 

実は生前、父・博美さんから、

父さんも悔しいことはいっぱいある。でも泣かないって決めている。泣いていたらお母さんが心配するだろ。男の子はどんなに辛くても泣いちゃだめだ!

出典:ドラフト特番番組

と言われていたことをしっかり守り、母の代わりに、涙を見せることなく見事に挨拶を遂行しました。

その挨拶の中で「父への感謝の気持ち」「プロ野球選手になって家族を守る」という誓いを、わずか小学6年生の子供が泣かずに立派に言い遂げたのです。

 

実際に葬儀のときは参列者の前では涙一つ見せなかったといいます…

 

柳裕也投手が今も大切にしている『決意』『覚悟』そして父・博美さんとの約束『どんなに辛くても泣かない』という信念小学生のときから持ち続け、現在も貫き通しているのです。

 

その後、母・薫さんが、父・博美さんの意思を受け継ぎ柳裕也投手との自宅練習に励み続け、のちの大会も続々制していくこととなります。

 

余談ではありますが、

柳裕也選手がドラフト指名された2016年に、自身が所属していた志比田スポーツ少年団は柳裕也選手以来(10年ぶり)の全国大会出場を決めています。(結果は柳と同じく初戦敗退)

 

中学生

中学生になり、宮崎県都城市立小松原中学校に通いながら、最初は学校の部活動である「軟式野球部」に入部します。

しかし、母・薫さんとの自宅練習の成果もあり軟式野球では「ほとんど打たれない」投手になっていたため、1年も経たずに硬式野球の「都城リトルシニア」に移ります。

そこでも着実に力を付け、中学3年時にはシニアの日本代表に選ばれ、アメリカで開かれた少年野球全米選手権大会で優勝し、サイ・ヤング賞を受賞しています。

 

そして高校進学について、柳裕也投手は父・博美さんとの葬儀で「プロ野球選手になって家族を守る」という誓いを守るべく、甲子園やプロ野球選手を最も多く排出している高校を探していました。

その中で本人の希望は横浜高校に行きたい!という気持ちがあったものの、実は過去に宮崎県から横浜高校に進学した人は誰もおらず、アテも全くない状態だったのです。

 

しかし、そこで転機が訪れます。

 

なんと、希望していた横浜高校が”偶然”招待試合のため、宮崎県を訪れることが分かったのです。(横浜高校が宮崎県を訪れるのはこれが初めてだったらしい!)

 

それを知った柳裕也投手は、リトルシニアの監督に頼み込み、そのシニアの監督でさえ全く面識のなかった当時の横浜高校の監督である渡辺元智氏とのアポイントを取ることに成功したのです。(本当にあらゆる手段を使ったと言います)

招待試合の後、柳裕也投手は渡辺元智監督と直接話しをし、執拗に自分をアピールして売り込んだと言っていました。

そのアピールの甲斐もあって、横浜高校のセレクションに参加することが認められ、見事に合格し入部が決まったのです。

 

この後、柳裕也投手は一度だけ、父・博美さんとの約束を破ってしまいます。

 

それは横浜高校への入寮の際、家を出発するときに母・薫さんと妹さんに見送られ家を発ったあと、家族の姿が見えなくなったところで涙が止まらなくなったそうです。

父・博美さんに『泣かない』と誓い、今まで我慢してきたものが溢れたのでしょう…

母・薫さんも泣かないと決めていましたが、息子が見えなくなったところで、妹の前で泣き崩れてしまったといいます。

 

寂しさもありながら、苦労もあるだろうことをお互いが理解していたことが見える、優しさが滲み出ているお話です。

それでも柳裕也投手も母・薫さんもお互いに心配を掛けないと、お互いの前で涙を見せずにいたことは物凄く立派なことですね。

 

高校生

横浜高校に入学後、1年生の夏からベンチ入りし2年の春の選抜高校野球で初めて甲子園出場を果たします。

地元宮崎県から遠い神奈川県まで野球留学をしていた柳裕也投手でしたが、そのときも母・薫さんに対する感謝は忘れてはいませんでした。

母は辛そうな顔は見せませんが、苦労を掛けていたと思うんです。いつか必ず恩返しをする。そう決めていました。

出典:FRIDAY 注目6投手を支える「家族の物語」

とインタビューに答えており、高校生当時に使用していたグローブには

母への恩返し

と刺繍を入れて日頃から女手一つで育ててくれた母・薫さんへの感謝を忘れないようにしていました。

 

そして高校生では春の甲子園に2回、夏の甲子園に1回の計3回の甲子園出場を果たしています。

 

大学生

高校ではプロ志願届けを提出せず、明治大学へ進学します。

しかし、当時の横浜高校の部長であった小倉清一郎氏から「特待生として学費や授業料などが免除されるから”日体大”に行け」という勧めを受けていましたが、柳裕也投手は「東京六大学の舞台に立って”母親に神宮で活躍する姿を見せたい”」と語り、明治大学に進学しています。

 

柳裕也投手は何をするにも全て『家族のこと』を優先に考えて行動していたのが良く分かりますね。

 

その後、3年夏にユニバーシアードの日本代表に選ばれベストナインに輝き、4年春には主将に任命され、3季ぶりのリーグ優勝に大きく貢献しています。

日米大学野球選手権大会の日本代表にも選ばれ、そこでも主将と投手という役割を全うし、大会連覇MVP最優秀投手に選出されています。

 

そして、来る2016年10月20日、ドラフト1位で見事中日ドラゴンズに指名され、父・博美さんの葬儀のときの誓いである『プロ野球選手になって家族を守る』という夢への第一歩へ踏み出すことが出来ました。

 

本人の中ではこれまで、周りに言えないような辛いことや苦しいことがたくさんあったと思います。

しかし、「家族のため」という小学生から変わらぬ信念を持ち続け、またそれに向かって努力を惜しまない柳裕也投手の『強さ』が、これからのプロ生活の中でも一番の武器になることでしょう。

 

筆者はこれからも柳裕也投手の大ファンであり、応援し続けていきたいと思っています。

 

プロフィール

 

柳 裕也(やなぎ ゆうや)

出身地:宮崎県都城市

生年月日:1994年4月22日

身長・体重:180cm・80kg

<野球経歴>(投手、右投右打)

  • 志比田スポーツ少年団
  • 小松原中学校 野球部(1年くらい)
  • 都城リトルシニア
  • 横浜高校
  • 明治大学

<尊敬する人>

  • 渡辺元智氏(元横浜高校監督)
  • 小倉清一郎(元横浜高校部長)
  • 都城リトルシニアの監督

 

 

 

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